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【マラソン】彼女は未知の世界へ走りだした~先天性内反足で足首の自由を失った女性がフルマラソンに挑戦した話(その3)

彼女は、京都の景色をほとんど覚えていないという。 「次の関門に間に合うように、そしてまた、その次の関門に間に合うように。それだけを思って、ひたすら足を前に運んでましたから」 先天性内反足で足首の自由を失った女性が、はじめてのフルマラソンに挑む。 第1話「彼女はもう一度走りたかった」 第2話「彼女は決意の一歩を踏み出した」 のつづきです。 ◆ 未知の世界へ 2019年2月17日。 京都マラソン。 朝の太陽は、雲間から時折に顔を出したが、寒さをやわらげてはくれなかった。 気温0度。 号砲を待つ1万6千人の群衆。 その中に、彼女はいた。 空気は澄んでひんやりと冷たい。 吐く息は白かった。 彼女は小刻みに体を動かした。 歩き方を変え、なんとか走れるようになってわずか4か月間。 とうとう、フルマラソンのスタートラインに立ってしまった。 これから走る距離のことを考えると、もちろん、不安はある。 でも、ここまできたら、もう走るしかない、と彼女は思った。 足元を見つめる。 フラッシュイエローのランニングシューズ。 この4か月間をともに歩き、走ってきた相棒。 お願い、今日も一緒にがんばってね、とシューズに声をかけた。 午前9時。 レースがスタートした。 前方から徐々に人々の波が動きはじめる。 やがて、そのうねりが目の前に迫ってきた。 彼女は、ついに一歩目を踏み出した。 その瞬間。 確かに聞いた。 自分の中で、何かが切り替わる音。 鳥肌が立ち、胸が高鳴った。 未知の世界へと、彼女は走りだした。 ◆ 彼女の背中を押したもの 足裏の感覚。 土踏まずを支えるオーダーメイドインソールが心地よい。 足元の安定感。 シューズが勝手に、体を前へ前へと運んでいく。 周囲の雰囲気にも押され、おのずとペースも上がっていく。 しばらくして坂をのぼりきると、ふいに視界が開けた。 眼下に広がる光景。 無数のランナーたちで埋め尽くされた道が、はるか先まで、うねうねと揺れている。 うわぁと声をあげそうになる。 こんなにたくさんの人が走ってるんだ! 圧倒されて、我にかえった。 時計を確認する。 最初の5km、想定より3分も速かった。 あとまだ37kmもある。

【マラソン】彼女は決意の一歩を踏み出した~先天性内反足で足首の自由を失った女性がフルマラソンに挑戦した話(その2)

( 第1話「彼女はもう一度走りたかった」 のつづきです) ひとりの女性が店の扉を開けた。 店内に歩き進む、そのわずか数歩。 川見店主は見逃さなかった。 歩き方。 体が右側に傾いた。 一歩一歩に腰が回り左右に揺れる。 足首が不安定に内側へとねじれこむ。 ◆ 川見店主が迫られた選択 2018年10月某日。 彼女ははじめてオリンピアサンワーズにやって来た。 フルマラソンを走りたいです、と彼女は言った。 そして、生い立ちを語った。 生まれた時のこと、幼い頃の手術、動かぬ右の足首、それでも走ることが好きだったこと、陸上競技での挫折、今もずっと悩まされる腰や股関節の痛み……。 川見店主は、彼女の体と向き合った。 筋肉のつき方がちがう、別人のような右脚と左脚。 かたちも大きさも、まったく異なる右足と左足。 そして、彼女の歩き方――。 川見店主は、彼女が乗り越えてきたであろう、多くの苦労を思った。 だからこそ「走りたい」という彼女の気持ちも、よくわかる気がした。 しかし、彼女の体には歩くだけでも相当の負担がかかっているはずだ。 まして、走る時に被(こうむ)るダメージの大きさは想像もつかない。 この体のままで、42.195kmもの距離を走り抜くのは、到底不可能だ。 川見店主は、自身に責任を問うた。 第一に守るべきは、彼女の「体」だ。 大切にすべきは、日常であり生活だ。 無理をし、体を傷めてまでフルマラソンに挑戦することを、美談にしてはならない。 しかし、こうも思った。 彼女の「心」もまた、大切にしてあげたい。 彼女の「不可能」を「可能」にしたい。 それが、彼女の人生を切り拓くことになるのならば――。 川見店主は決断を迫られた。 選択肢は2つしかなかった。 ひとつ、彼女にフルマラソンをあきらめさせる。 ふたつ、なんとしても無傷で彼女を完走させる。 大会まで、わずか4か月。 遠慮してはいられなかった。 言い放った。 「フルマラソンを走るのは無理です。危険です。やめるべきです」 ◆ 彼女に求めた「2つ」の挑戦 川見店主の言葉に、彼女は、深くうなづいた。 川見店主はつづけた。 「それでも走りたいのですよね?」 彼女は、もう一度、うなづいた。 「ならば、歩き方

【マラソン】彼女はもう一度走りたかった~先天性内反足で足首の自由を失った女性がフルマラソンに挑戦した話(その1)

川見店主は、その人を抱きしめた。 そして、両腕をつかんで体を離すと、その人の顔を見つめて言った。 「よくがんばりましたね」 その人はこたえた。 「ありがとうございます。無事に帰ってきました」 川見店主は、その人を、もう一度、強く抱きしめた。 ◆ 彼女が背負ったもの お腹の子は、中から強く、何度も何度も、蹴ってきた。 お母さんは、元気な子が生まれてくるだろうと思った。 町の助産院で、彼女は生まれた。 彼女をとりあげた助産師さんは、彼女の足を見て、声をあげそうになった。 その足が誰にも見えないように、小さな体を、そっとタオルで包みこんだ。 そして、お母さんに優しく声をかけた。 「元気な女の子ですよ」 お母さんは、生まれたばかりの小さな命を愛おしく見つめた。 2日後、彼女は大学病院へと運ばれた。 彼女の右足は、足首から先が大きく内側に曲がっていた。 足の親指が、脛(すね)にくっついていた。 精密検査が必要だった。 冷たく大きな検査装置の中に、ひとり寝かされた。 お父さんは、胸を締めつけられながら、ガラス越しに小さな命を見守った。 「先天性内反足」 それが、彼女がこれからの長い人生に背負っていくことになる病名だった。 医師は言った。 「でも、この子は大丈夫です。こんな言い方は間違っているかもしれませんが、この子の足には、必要な″部品″が全部そろっています。だから、大丈夫です」 ◆ 走ることが好きだった 生後2か月の時と、4歳の時と、彼女は大きな手術を2回受けた。 ある日、おじいちゃんが病院へ見舞いに行った。 可愛い孫の姿は病室にはなかった。 おじいちゃんが彼女の居場所を尋ねると、看護師さんが笑ってこたえた。 「廊下にキズが見えますよね?Eちゃんが足に装具を付けたまま元気に歩きまわるので、キズがつくのです。あのキズをたどっていけば、Eちゃんに会えますよ」 彼女の右足は、足先から太ももまでを装具で固定された。 でも、彼女は不自由を感じることはなかった。 自分にとっては、生まれながらの自分の足だった。 幼稚園にあがるまでは、装具を付けたままで周りの友達と同じように、いや、それ以上に元気に遊びまわった。 お母さんも、決して彼女を特別扱いしなかった

【マラソン】走るたびに膝を痛めていた初フルマラソン6時間40分の男性ランナーが、なぜ3時間58分で走れるサブ4ランナーになれたのか?

日曜日、昼さがり、あやしげな電話。 2018年3月25日、日曜日、13時頃。 仕事用の携帯電話が鳴った。 液晶画面には、見慣れた名前の文字が浮かんでいる。 川見店主は、受話ボタンを押して、耳元に電話を押し当てた。 「はい、オリンピアサンワーズです」 「……ハァ、ハァ、ハァ……」 「もしもし?」 「……ハァ、ハァ、ハァ……」 なにこのあやしげな電話! 耳元から電話をはなした。 液晶画面を確認した。 そこに映るのは、やはり、よく知るランナーの名前だった。 一体何があったのだろう? もう一度、耳元に押し当てる。 「もしもし?○○さんですよね?」 「……やった……やった……」 「え?なんて?」 「……き、切れた……切れた……」 「な、何が?どうしました?」 「よ、4時間……4時間切れました!」 ◆ サブ4達成した「YDK」 本日のお客様は、 愛知県 からお越しのY1Rさんです。 ――Y1Rさん、こんにちは。 Y1Rさん: 「こんにちは、お世話になってます」 ――2012年に初フル挑戦を 6時間40分 で「完歩」。その後、走れば走るほどに膝が痛むようになり、インソールで問題が解決するならと、オリンピアサンワーズに初めてご来店されたのが2013年の末。その後、どんどん走れるようになり、遂にはフルマラソンを「 ほぼほぼサブ4 」で走れるまでになったY1Rさんの話は、ちょうど一年前(2017年7月)のブログに書きました↓    Y1Rさん: 「いつもうまいこと書いてくれますねぇ」 ――そして、ついに!Y1Rさんは、今年(2018)3月25日の とくしまマラソン を 3時間58分20秒 で大激走!念願の 初サブ4 を達成されました! おめでとーございまーす! ナイスラン、 ないすらん 、 ないすらーーーん! (最大賛辞のないすらん3連発) いよっ! Y1Rさん: 「これでやっと、 サブ4ランナー の仲間入りです」 ――ところで、とくしまマラソンをサブ4でフィニッシュされた直後、Y1Rさんは川見店主に電話をかけられたそうですね。 Y1Rさん: 「フィニッシュし、メダルをもらい、競技場のトラックを歩きながら、サブ4の 感動 と 興奮 のま

【マラソン】2018年の京都マラソン、泉州国際マラソン、高知龍馬マラソンを走る人たちを応援してるぜよ。

マラソンシーズンは終盤戦に突入です。 今日のブログは、明日2/18(日)に開催の 京都マラソン 、 泉州国際マラソン 、 高知龍馬マラソン に出場されるランナーのみなさんをご紹介! ***** 京都マラソンを走るひとたち こちらで出場を把握してるみなさんとPB(自己ベスト記録)↓ ・タダオさん (50代・男性・3時間24分) 昨年(2017)11/19の 神戸マラソン で 3時間24分 の自己ベスト更新、1週間後11/26の 大阪マラソン でも 3時間25分 の 連続サブ3.5達成 、今年1月の 高槻ハーフ は 1時間32分 の自己ベスト更新!とノリにのっているタダオさんが、初めての京都マラソンに参戦! 目指せ3時間15分切り!応援してまーす! タダオさんは、こんな人↓    ◆ ・シンスケさん (40代・男性・3時間26分) ハーフマラソンを走るだけで 膝がボロボロ になるわ、 爪が黒く なるわで走れなくなってたシンスケさん。その悩みが解決するならばと、当店に初めてご来店されたのは2015年7月。 その後のシンスケさんは、驚くほど走れるようになり、同年12月の 奈良マラソン で 初フル挑戦 、 4時間00分12秒 の「 あわやサブ4 」で完走。 さらに、その翌年(2016)2月の 姫路城マラソン は 3時間56分 の激走で、はやくも サブ4 を達成された――っていう話は、旧のブログ(当時は「NSさん」でご登場)に残ってます↓ ・2015/07  シンスケさん初ご来店 ・2015/12  レース用シューズをご用意 ・2015/12  初フルで「あわや」サブ4 ・2016/03  姫路城でサブ4達成 ほんで、今シーズンのシンスケさんは、まずは昨年(2017)11/26の 大阪マラソン を 3時間46分 の快走で自己ベスト更新! 12月には勝負シューズをフィッティング↓ 2017年12月。レース用とトレーニング用のランニングシューズをフィッティング。いずれも最上級インソールのゼロアムフィットを装着。 ほんで、ほんで、2018年が明けて2/4の 木津川ハーフ で 1時間40分 の自己ベスト更新! ほんで、ほんで、ほんで、先週2/11の 姫路城マラソン では、ついに!ついに! 3時間26分

【マラソン】ハワイ在住ランナーが、13回目のホノルルマラソンでサブ4を狙わない理由。

そのコーヒーはココナッツの香りがした。 フルーティーな味わい。 ハワイからの贈り物。 コーヒータイム、ホッと一息をつくたびに、ホノルルにいる、あの人を思い出す――。 フルマラソンに挑戦する 50代 以上の 男性ランナー を応援するブログ「 50s Runners Club(フィフティーズ・ランナーズ・クラブ)」 。 第4回目は、 ハワイ在住ランナー のセイジさんがご登場です! ***** 9回目のホノルルマラソン、4時間21分 ホノルルに暮らす。 ワイキキビーチ近く、カラカウア・アベニューで鍼灸院を開業する東洋医学のドクター。 休日は、テニスとゴルフを楽しむ。 セイジさん : 「ハワイはいいところです。気候は過ごしやすく、人々はおおらかです」 ランニングをはじめたのは12年前(2005)。 きっけかはホノルルマラソン。 制限時間がない大会。 90歳のおばあちゃんが16時間かけて完走したりする。 何の練習もせずに走ってみた。 初めての42.195km。 妻とふたり、5時間33分かけて、ゴールにたどり着いた。 想像以上だった。 フルマラソンのツラさも、オモシロさも。 その後、毎年ホノルルマラソンを走るようになる。 ・2005(1回目):5時間33分 ・2006(2回目):6時間39分 ・2007(3回目):6時間30分 ・2008(4回目):6時間35分 ・2009(5回目):5時間45分 ・2010(6回目):5時間02分 ・2011(7回目):4時間22分 ・2012(8回目):6時間11分 ・2013(9回目):4時間21分 走りつづけて9年、サブ4の背中が見えた。 走り方のことも、ランニングシューズのことも、自分なりに色々と調べてやってきた。 しかし、どちらのことも、ずっと、わかったような、わからないような気がしていた。 真実はどこにあるのか? ある日、ネットで興味深い店のWebサイトを見つけた。 その店は、日本にあった。 ホームページも、ブログも、隅から隅まで全部読みこんだ。 求めているものが、ここにあるかもしれない。 ハワイ、2014年5月18日午後7時。 日本にメールを送った。 私はアメリカ、ハワイのホノルルに在住しております〇〇