スキップしてメイン コンテンツに移動

【ネタ】なぜ川見店主は卵の殻をかぶっているのか?


最近、オリンピアサンワーズの川見店主には腑に落ちないことがあるらしい。


川見店主:「あのさぁ」


――はい、なんでしょう?


川見店主:「たまにブログに出てくる私のイラストあるけどさぁ」


――はい。


川見店主:なんで私は卵の殻をかぶってるわけ?



なるほど、初めてこのブログをご覧になって、川見店主と同じ疑問をもった方々もおられるかもしれない。
ならば、今後のためにご説明しておこう。

なぜブログに出てくる川見店主は卵の殻をかぶっているのか?

少々長くはなるが、お付き合い願いたい。



川見店主は写真がキライ

そもそもの問題は、川見店主の「写真嫌い」にある。

お店や企業のホームページには「経営者」や「そこで働く人々」の顔写真を載せることが鉄則であると言われている。「顔」が見えることが消費者に親近感や安心感を与えるかららしい。そういえば、最近ではスーパーの野菜にも、作り手の農家の方々の顔写真が添えてあったりする。

しかーーーーし!

そんな時代の流れをもろともせず、川見店主は、当店のホームページが開設された時(2001年)から実に17年もの間、Web上での顔写真掲載を一切許さなかった。
その姿勢はブログ(2005年開始)でも徹底された。インソールを作成している時の写真は掲載を許すも、「横顔」に「メガネ」と「マスク」という愛想のなさである。
ブログに出てくる川見店主はキャシャーンのようである。

そこで、話の流れでブログに川見店主が登場する場合は、苦肉の策として、写真のかわりにイラストを用いることになったのであった。
旧ブログに登場していた川見店主のイラスト。まだ卵の殻はかぶっていない。

今年4月にリニューアルされたホームページで、川見店主は、やっとこさ初めて顔写真の掲載を許した。
これは、

1)ここ数年のうちにテレビに何回か出演した
2)あるWebサイトにデカデカと写真が載った

ことから、もう顔は世間様に割れてしまっているので「まぁ仕方ないか」という心境になったためである。
しかし、だからといって自分の顔写真がWeb上にさらされるのを今も嫌ってはいるし、お客様からリクエストがあってもゼッタイに写真にはおさまらないので、あしからず。

……とまあ、これくらい川見店主は写真がキライなのである。



2017年のテーマ「殻を破る」

2017年1月4日。
旧ブログで新年のごあいさつを申し上げた
このようなイラスト画像をのっけて↓




今年のオリンピアサンワーズのテーマは「殻を破る」であると宣言したこの川見店主のイラストは、一部の熱狂的なサンワーズファンのみなさまにウケにウケた。

「スマホの待ち受けにしてます!」
「練習でツラくなった時は、この画像を見て気合いを入れています!」
魔除けにしてます!

等々とご報告をくださる奇特な人も数名いらっしゃった。

しかし、このイラストには、より深い「本当のメッセージ」が隠されていた。それが明らかになるのは、3月末のことであった。



生まれ変わる変わる詐欺!?

昨年より、オリンピアサンワーズはホームページのリニューアルを計画していた。
新しいホームページの公開日は2017年4月1日と決まった。
その数日前には、旧ブログにこんな画像をのっけて期待感を煽った↓



この時、このイラストの真のメッセージは「生まれ変わる」だったことが明かされた。

しかーーーーっし!

4月1日の新ホームページ公開は見送られた。
なぜか?
3月中に急遽、川見店主の「開運なんでも鑑定団」出演が決まり、その準備で忙しくなった。そして4月1日には東京へ番組収録へ行ってしまった。

この時点で、新ホームページの点検作業は不十分であったため公開は延期となったのだ。

あれだけ「生まれ変わる」とはやしたてておきながら、生まれ変わらなかった。
これでは「生まれ変わる変わる詐欺」ではないか!

……どうしよう。

なんか笑いに変えて、ごまかすしかないな

つーわけで、4月1日のブログにはこんな画像をのっけてお茶をにごした↓
4コママンガ的な展開で「まだ生まれ変わらない」ことを暗に示す。「ひっこむんかーい!」とツッコんだ人多数。

オリンピアサンワーズのお客様方々は、この事態をあたたかく見守ってくださった。苦情や非難などは一切なかった。とゆーか、どーでもよかったのであろう。



ニューキャラクター誕生。その名は……


さらに2週間後。

ようやく、新しいホームページ公開のメドが立った。

リニューアル公開前日には旧ブログにこんな画像をのっけて、懲りずに期待感を煽ってみた↓
川見店主が立ちあがって「いよいよ生まれ変わる」ことを示す。その姿は、クララが立ちあがった時と同じかそれ以上の衝撃を見る者に与えたという。


た、た、立った!
川見店主が立った!

2017年4月15日、無事にホームページのリニューアルが完了した。
ブログもこちらの新しい場所へ引っ越した。
殻をかぶったまま立ち上がった川見店主は、新しく生まれ変わったオリンピアサンワーズの象徴となった。そして、このブログの新しいキャラクターとなった。


その名は、




きゃわみたん」。




きゃわみたんは、口元だけで表情が変わるよ!作るのがカンタンだよ!



――てなわけで、きゃわみたんは、卵の殻をかぶっているのでありまっす!


川見店主:「……あのさぁ」


――はい、なんでしょう?


川見店主:「それはもうわかったからさぁ」


――はい。


川見店主:「じゃあ、いつまで私は殻をかぶってるわけ


――……ま、その辺は、ノープランです。


つーわけで、これからもきゃわみたんをよろしくね!


まゆげを変えてみたよ!↓


この記事をシェアする
  • B!

コメント

このブログの人気の投稿

【短距離走】たった半年で100mの記録を0.6秒も更新し、全中で4位に入賞した中学2年生スプリンターにフィッティングした7足のシューズとインソールとは?

全中で4位入賞 だいきくんは、中学2年生のスプリンター。 陸上競技の強豪校でがんばってます。 100mの自己ベスト記録は 11秒39 。 今年の夏には 全中(全日本中学校陸上競技選手権) に出場し、 男子4×100mリレー で見事に 4位入賞 を果たしました。 いよっっつ! ――だいきくん、全中出場&男子4×100mリレー4位入賞おめでとうございます! だいきくん: 「ありがとうございます」 ――だいきくんは、何走だったのですか? だいきくん: 「2走っす」 ――全国大会の舞台は緊張しましたか? だいき くん: 「予選は大丈夫だったすけど、 準決勝と決勝はヤバかった っす。めっちゃ緊張しました!」 ――レース後の表彰式で撮影された写真が、「 月刊陸上競技 」10月号に載ってますね。ダイキくんの姿を見つけたときは、とてもうれしかったし、誇らしかったですよ。かっくいー! 2017年8月に熊本県で開催された全中の結果が載ってる「月刊陸上競技」10月号。 だいき くん: 「実は、その写真の時、 めっちゃ落ち込んでた んす」 ――どうして?表彰台に上がって、賞状をもらって、最高にうれしい瞬間じゃないの? だいきくん: 「優勝したチームのタイムが 中学生新記録 だったっす。めちゃくちゃ速くて、勝負にならなかったっす。悔しかったっす」 ――いい経験ができましたね。 だいき くん: 「来年がんばるっす」 ◆ 37年ぶりに日本記録を樹立 ――全中が終わってから、調子はどうですか? だいき くん: 「この前の日曜日(10/9)、 日本新記録 をだしたっす」 ――えっ?日本新記録!? だいき くん: 「 大阪市民陸上カーニバル で、 低学年リレー (※)ってのがあったんすけど、僕はアンカーで走って日本記録を出したっす」 ※【低学年リレー】中学2年生と1年生でチームを編成するリレー。中2が第1走と第4走、中1が第2走と第3走をつとめる。 ――すごいすごい!調べてみたら、なんと1980年以来破られなかった記録を 37年ぶり に更新したって話じゃないですか!ダイキくん、 日本記録保持者 なんだ!」 だいき くん: 「 そうっす(得意気) 」 さらに、いよっっつ!

【中距離走】800mを1分56秒で走る中学生は、なぜ、たった3カ月で記録を6秒も更新できたのか?~中距離ランナーりゅうきくんの話(その1)

中学3年の春、彼の能力は目覚めた。 彼は中学生になって陸上部に入った。 走ることが好きだ、という「自覚」はあまりなかった。 がんばろうという気持ちも、さほど強いわけではない。 本人にも、お父さんにもお母さんにも、わからなかった。 彼の能力は地中深くにあって、誰の目にも触れなかった。 そのまま、中学校の2年間が過ぎた。 中学3年の春。 時は突然にやってきた。 眠っていた彼の能力は目覚め、大地を蹴破り一気に発芽した。 そして、わずか3か月で、途方もない花を咲かせることになる。 話は、2016年5月1日の出来事からはじる。 ◆ 【2016年5月1日 京都市中学校総体】 彼は男子800m決勝のレースで、これまでにない走りっぷりを見せた。 他の選手たちを大きく引き離して独走し、ぶっちぎりで優勝。 記録は2分02秒40。 この快挙に、彼のチームは大騒ぎになった。 観戦していたお母さんは、驚きやら感動やらで涙が止まらなかった。 お父さんは、これは大変なことになったと思った。 全中(全日本中学校陸上競技選手権)の男子800m出場資格は2分01秒。もう少しがんばったら、息子は全中に出場できるんじゃないか? ならば、とお父さんは思う。 できるかぎりの応援をしてやろう。彼の足に合うシューズを買ってあげよう。 色々調べていると、ある店のブログを見つけた。 そこには、同じく800mで全中に出場を果たした、ある男の子のことが書かれていた。 よし、この店に息子を連れて行こう。 思い立つとすぐ、その店に電話を入れた。 お父さんが読んだ「R太郎くん伝説」↓ ◆ 800m2分切りと全中出場を目指して 【2016年5月12日 オリンピアサンワーズ】 ご両親に連れられて、彼はオリンピアサンワーズにやってきた。 長身で細身、優しい顔をしていた。 川見店主は彼に聞いた。 川見店主: 「800mで2分切りたいよね?全中に行きたいよね?」 彼は、一緒に来た小さな妹の遊び相手をしながら、はい、とこたえた。 川見店主は、その立ち姿を見て、彼のランニングフォームが想像できた。 川見店主: 「今の彼は、きっと下半身だけで走ってます。上半身も使って走れるようになれば、800mで2分を切れると思います」

【マラソン】月間150kmの練習でフルマラソンを3時間25分で走れるようになった女性ランナーの秘密とは?

眠っていたのは○○な才能だった スポーツは得意ではなかった。 体育祭はいつも憂鬱(ゆううつ)だった。 中学時代は、いわゆる「帰宅部」。 でも高校では空手部に入ることになった。 友人にこんな風に誘われたのだ。 大丈夫、空手は運動神経とか関係ないから。 「入部してわかりました。関係ないわけないじゃん!って(笑)」 せっかく入ったのでつづけてみた。 自分の中に眠る「何か」の才能が花開くかもしれないし。 3年つづけた結果。 「空手の才能は眠ったままか、元々ないのかのどちらかだったみたいです(笑)」 その後もスポーツとは無縁の生活。 しかし、体力がだんだん落ちていくのが気になりだした。 「これからもっと年齢を重ねたら……って将来のことを考えると、元気なおばあちゃんでいたいなって思ったんです」 ならば、今から足腰を鍛えておかなければ。 6年前から少しずつ走りだした。 マラソン大会なるものがあることを知る。 思い切って地方の大会に申し込んだ。 4.5kmのレース。 「それが、あっという間に走り終わって。せっかく遠くまできたのに、走る時間が短いと来た甲斐がないなーと思ったんです」 今度は10kmのレースに出場。 50分程度で走れた。 5年前(2012)、大阪マラソンに申し込んでみたら当選した。 初めて42.195kmを走ることになった。 それがどんな距離なのかは想像できなかった。 ペースも目標タイムも何も設定できなかった。 完走できるかどうかも、もちろんわからない。 だから、自分の思うままに、カラダの動くままに走りつづけてみた。 「大阪マラソンはレース後半で食べ物がたくさん並んでいるエイドがあるでしょう?そこで、めいっぱい食べて(笑)。それが美味しかったし、楽しかったですね」 初フルマラソンは4時間30分で無事に完走。 以降、毎年フルマラソンに挑戦する。 ・2013/10 大阪 3時間59分 ・2014/10 大阪 3時間57分 ・2015/11 淀川 3時間45分 ・2016/02 口熊野 3時間31分 ・2016/10 大阪 3時間28分 ・2017/02 京都 3時間25分(PB) 走る度に記録を更新。 いつの間にかサブ4からサブ3.5ランナーへ。 眠っていたの

【重量挙げ】彼女はなぜウェイトリフティングシューズにオリンピアサンワーズのインソールを装着するのか?

祝!アジア競技会出場! 第18回アジア競技大会 が、インドネシアのジャカルタとパレンバンにて開催されています(8/18-9/2)。 で、今大会には、 女子ウェイトリフティング 界のホープ、 石井未来 (いしい・みく)選手 が初出場を果たされました! で、で、オリンピアサンワーズの オーダーメイドインソール も、石井選手のウェイトリフティングシューズの中で、アジア大会の大舞台に( こっそり )デビューします! いよっつ! 石井選手の姿をチーム・ニッポンのインスタで発見! 前列右から3人目の女の子が石井選手です。いい笑顔!↓ ジャカルタ・パレンバンアジア大会の選手村で16日、日本代表選手団の入村式が行われ、山下泰裕団長をはじめ競泳、ウエイトリフティングの選手ら20人が参加して歓迎を受けました。(写真:アフロスポーツ、フォート・キシモト) #アジア大会 #AsianGames2018 #EnergyOfAsia #がんばれニッポン #TEAMNIPPON #JapaneseOlympicCommittee 「チームがんばれ!ニッポン!」 さん(@team_nippon)がシェアした投稿 - 2018年 8月月16日午後7時28分PDT すごいなー、あのみくちゃんが、日本代表の一員ですよ! JAPAN背負っちゃうんですよ! あ、いつもこのブログでは、お客様とか選手のお名前はイニシャルとかで伏せてますけれど、ここまでの選手になられたら、もう 何 をどう書こうとバレバレ ですので、お名前出しちゃいました。 高校日本記録を樹立 石井選手が初めてオリンピアサンワーズにご来店されたのは、3年前(2015)の秋。 当時は高校3年生。 学校の制服に身を包んだ彼女は、ごく普通の女の子にしか見えませんでした。 でもすでに、 女子63kg級 の階級で 高校記録 を持つほどの選手だったのです。 その時の話は、旧ブログに残ってます 。 2015年秋。高校3年だった石井未来選手のウェイトリフティングシューズをインソールでフィッティングする川見店主 その後、彼女は高校記録をさらに更新。 ・スナッチ: 87.0kg ・クリーン&ジャーク: 109.0kg ・トータル: 192.0kg と

【ハリマヤ】『陸王』がつないだ100年のドラマ~語りつづける者がいるかぎり、襷(たすき)は…。

ハリマヤのシューズバッグとスパイクシューズ 【2017年】100年のドラマが動き出す。 川見店主は、知らなかった。 その人物の本当の名前すらも知らなかった。 だから、会えるとも思っていなかったし、会いたいという願望もなかった。 しかし、川見店主こそが、その人物に会わなければならなかった。 事態は「向こう」からやってきた。 2017年11月某日。 オリンピアサンワーズにかかってきた1本の電話は、まさしく、その人物からだった。 『陸王』 がつないだ、100年のドラマが動き出す。 ***** 【1912年】播磨屋(はりまや)のマラソン足袋 日本のランニングシューズの歴史は、「 播磨屋 (はりまや)」という 足袋屋 からはじまっている。 播磨屋は、1903年に東京大塚に創業された。 創業者は 黒坂辛作 (くろさか・しんさく)。 【黒坂辛作】 播磨屋足袋店創業者 当時、播磨屋の近くにあった東京高等師範学校の学生たちが、この店の足袋を愛用していた。その学生のなかに、 金栗四三 (かなくり・しそう)がいた。 1912年、金栗は日本人で初めてオリンピック(ストックホルム大会)に出場、播磨屋の足袋を履いてマラソンを走った。 オリンピックに惨敗した金栗は、その後、 箱根駅伝 をはじめ多くのマラソン大会を実現するなど、長距離ランナーの育成に生涯を懸けた。そして、黒坂とともに、日本人が世界で戦うための「 マラソン足袋 」を 共同開発 しつづけた。 1936年の ベルリン五輪 では、マラソン日本代表の孫基禎(ソン・ギジョン)選手が「マラソン足袋」で走り抜き優勝。播磨屋は、ついに世界を制した。 日本にマラソンを確立したのは、金栗四三だった。 その時代を足元で支えたのは、播磨屋の「マラソン足袋」だった。 戦後を迎えるまで、日本の長距離選手は「マラソン足袋」で走るのが主流だった。 【金栗四三(1891-1983)】 日本人初のオリンピック選手。箱根駅伝の創始者。「日本マラソンの父」と称される。 やがて、播磨屋は、日本を代表するランニングシューズ・メーカー「 ハリマヤ 」へと発展を遂げる。国内の工場で、職人たちが熟練した技術で作り上げるハリマヤのシューズは、日本人の足によく合い、多くの陸上競技