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【短距離】100mで9秒台を狙うとおにぎりが売れる説。~第101回日本陸上選手権大会、男子100m決勝を見た話。


おにぎりが消えた日。

2017年6月24日土曜日。
ヤンマースタジアム長居。
第101回日本陸上競技選手権大会、2日目。

この日の夜に行われる男子100m決勝は、世間の注目を大きく集めていた。
出場する8名の選手のうち5名が、10秒0台の自己ベスト記録を持っている。
このレースで、今夏に開催されるロンドン世界陸上選手権の男子100m代表3名が選出される。
激戦は必至だった。
そして、なによりも、日本人初の「9秒台」が期待されていた。

午後6時。
JR阪和線の長居駅を降りる。
多くの人たちがスタジアムに向かって歩いていた。
仕事帰りで少々お腹が減っている。
何か食料を買っていくことにする。
途中にある惣菜屋さんに入った。
大きなおにぎりが3つ並んでいるのが目に入る。
今夜、一緒に試合を観戦するのは、川見店主とOさんと自分の3人。
よかった、みんなの分も買っていける。
その「最後の」3つのおにぎりをトレーに乗せた。
ちょっとしたおかずをと焼き鳥を選んでいると、新しいお客さんが入ってきた。
その若い女性が思わず大きな声を出した。

「あ、おにぎり全然ない!」

店のおばちゃんが申し訳なさそうに言った。

「ごめんなさい。売切れちゃって。でも、待ってくれたらもうすぐできますよ。」
「そうなんだ。じゃあ待たせてもらうね。」

買い占めた3つのおにぎりを見つめて、少々バツが悪い感じがした。が、まぁ仕方がない。
レジで会計をしながら聞いてみる。

「おにぎり、もうすぐできるの?」
「はい、すぐできますよ。」
「あと3つほしいんですけど。」
「ちょっと待ってね。」

おばちゃんはせかせかと奥の厨房に入っていった。
そして、3つのおにぎりを手にレジに戻って来て、言った。

「今日、陸上競技やってるでしょう。たくさん人が来てね、調理が追いつかないのよ。」

*****

今夜、何かが起こる。

スタジアム周辺には人があふれていた。
当日券の販売窓口には長蛇の列。
スポーツメーカーのブースも立ち並び、雰囲気を盛り上げている。
今夜、何かが起こる。
そんな期待が、そこにいるすべての人たちから伝わってくる。

競技場のスタンドに入る。
客席はほとんど埋まり熱気に満ちていた。
トラックでは男子1500m決勝のレースが行われている。
走る選手への声援と拍手が、ところどころで湧き起こっている。

先に来ていた川見店主とOさんと合流する。
Oさんは学生時代によく店に来ていた人だ。
当時は長距離選手で全日本インカレにも出場したことがある。
それから20年以上経った今もOさんと川見店主は懇意にしている。

ふたりが陣取っていたのは第4コーナー付近、スタンドの最前列から5列目の客席だった。
100m競技のスタートラインからは20mほどの地点にあたる。
川見店主が言った。

「いい場所でしょ。トップ選手たちのスタートダッシュが間近で見れるよ。」
「すごい迫力でしょうね。はい、これ、食料を調達してきました。」
「それは助かるね。ごくろうさま。」

今夜、何かが起こる。
3人は焼き鳥を片手におにぎりをほおばりながら、その時を待った。

*****

降りしきる雨の中で。

「あ、降ってきたかもしれません。」

隣の席に座るOさんがつぶやいた。
男子400m決勝のレースが終わった頃だった。
ポツリ、ポツリと、空からしずくが落ちてきた。
誰もがうらめしそうに空を見つめている。
時刻は午後8時25分過ぎ。
男子100m決勝は午後8時38分スタートだった。

この日は一日中ずっと曇天で、でもなんとか降らずにここまで持ちこたえてきた。
雨さえ降らなければ、記録を狙うには気温も風もちょうどいいコンディションだった。
「9秒台」への期待は、俄然にふくらんでいた。
なのに、待ちに待ったこの時になって雨とは!

「あと15分、いや、あと10分だけでもいいから耐えてくれ!」
「まだ雨足が弱いうちに一刻もはやく時が過ぎ去ってくれ!」

空に向かって祈らなかった人はいない。
しかし、みんなの思いとは裏腹に、雨足はどんどん激しくなっていった。

念のためにと用意してきた雨合羽をカバンから取り出し、3人は着こむ。
トラックには雨水が溜まりだし、スタジアムのライトをまばゆく反射した。
この悪条件では「9秒台」は難しいだろう。
無念さがスタンドを覆った。

ついに、男子100m決勝に出場する8名の選手が姿を現した。
日本屈指のスプリンターたちは格別なオーラを放っていた。
彼らはウォーミングアップがてらに軽くトラックを流した。
降りしきる雨の中を、正確なフォームで悠々と走り過ぎた。
その姿は、鳥肌がたつほど勇ましく、カッコよかった。
彼らを見守るスタンドの雰囲気が、ガラッと変わった。
それまで、観衆は「9秒台」という「記録」への期待にとらわれていた。
しかし、彼らの勇姿は、見る者に「人間」への畏敬の念を呼び起こした。

と、雨足が、急におとなしくなった。
霧のように細かくなり、ほとんどやんだかに思えた。
おお、という声が、ところどころであがった。
みんなの祈りが通じた、なんて言うつもりはない。
けど、こんなことってあるんだ。
今や、淡いだけの期待や無念さは雨と一緒に霧散した。
ただただ、選手たちが最高の走りを発揮できるように。
そんな願いが競技場に充満した。

*****

8つの魂は疾走し、おにぎりは売れつづける。

ひとしきり降った雨はちょっとした効果を生んだ。
空気は澄み、世界は鮮やかな色彩を与えられた。
トラックはキラキラと輝いている。
選手たちの姿がクリアに浮かび上がる。
いよいよ彼らはスターティングブロックにセッティングした。

2万7000人の静寂。
そして、号砲。

8つの獰猛な肉体が一気に解き放たれた。
8つの清廉な魂が激しく燃焼し疾走した。
時間は彼らに吸い寄せられた。
空間は彼らに圧倒された。
見る者の血は沸き、心は震えつづけた。
時は止まったようにも、永遠に続くようにも思えた。
でもそれらはすべて一瞬の出来事だった。

選手たちが両手を広げてフィニッシュラインに吸い込まれていくのが見えた。
気がつけば、スタジアムは歓声に包まれていた。
「10秒05」。
18歳が大会タイ記録で優勝した。
新しい時代のページがめくられた瞬間に立ち会った。

雨がまた降ってきた。
雨合羽を着たまま濡れるにまかせて、3人はレースの余韻を味わった。
川見店主が口を開いた。

「日本でこれだけ多くの人たちが注目したレースってなかなかないよね。未踏の記録への挑戦って、こんなにも人の心を動かすんだね。」

立ち上がった時、午後9時30分をまわっていた。
遅い時間にもかかわらず、空腹感はなかった。

「おにぎりと雨合羽は正解だったね。」

川見店主が笑った。

今夜、「9秒台」への期待がたくさんのおにぎりを消費させた。
期待は楽しみとして残った。
つまり、まだこれからも、おにぎりは売れ続けるということだ。

(おわり)


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