2019年NHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~」に協力した話。



今から1年半くらい前の話。

2015年秋のある日の夕方。
その電話は東京からだった。
受話器の向こうの男性は、某テレビ局のドラマ番組制作部の者だと名乗った。

その人の話はこうだった。

ある番組の制作にあたり、マラソンのことを調べているうちに、金栗四三さんとハリマヤの関係を知った。さらに調べる中で、オリンピアサンワーズのブログを見つけ、非常に興味深く読んだ。金栗さんとハリマヤとの出会いが、その後、1964年の東京オリンピックや今のマラソン選手たちにどんな影響を及ぼしたのか興味が尽きない。できれば、ハリマヤに関する資料を拝見させてもらえないだろうか――。



川見店主はこたえた。

「わかりました。ぜひ素晴らしい番組を作ってほしいです。できることはなんでも協力します。」

「ありがとうございます。番組化できるように励みます。」

その後、川見店主は店に現存するハリマヤの資料を惜しみなくテレビ局へ送った。
その人からは、すぐにメールが届いた。

「素晴らしい資料の数々を拝見しました。想像していた様々な出来事が、現実のものとして目の前に浮かびあがってくるようでした。番組制作部では、金栗さんとハリマヤさんのことをさらに調べていこうと動き始めております。」

その後も、その人との連絡はつづいた。
その人から届くメールにはいつも、丁寧なお礼の言葉と共に、番組制作への思いが、熱く、綴られていた。


*****

2017年4月、ある日の午後。

Sさんと、Sさんのお母様が、ウォーキングシューズのフィッティングにご来店された。
Sさんご一家は、高校生の娘さんも中学生の息子さんも陸上競技選手、ダンナさんはマラソンでサブ3.5ランナーで、3年前からご家族みなさんのシューズをフィッティングさせていただいている。

この日は、川見店主がテレビ東京「開運!なんでも鑑定団」の番組収録から大阪に帰ってきた翌日だった。川見店主は、あの五輪メダリスト・君原健二さんのお宝を鑑定した興奮がまだ冷めていなかった。



気心知れたSさんと川見店主は、テレビ収録の裏話で会話が弾んだ。


Sさん:
「へー、また鑑定士で出演されるのですね!放送が楽しみです!」


川見店主:
「恥ずかしいです。テレビの収録は、いつも緊張して倒れそうなんですよ。」


Sさん:
「そんな風には見えないですけれど(笑)。あ、テレビで思い出しました。昨日のニュースで見たのですけど、2019年NHKの大河ドラマは、金栗四三さんのお話なんですってね。」

【金栗四三(1891-1983)】
日本人初のオリンピック選手。箱根駅伝や多くのマラソン大会実現に尽力、ランナーの高地トレーニングをいちはやく導入・実践するなど、生涯を通じて日本を代表する長距離走者を多く育成した。日本マラソン発展に尽くした功績から「日本マラソンの父」と称される。生涯に走った距離は25万キロ。また、女子体育の普及など近代日本の体育振興・発展の礎(いしずえ)を築くなど先見性に富んだ教育者でもあった。


川見店主:
「そうなんですか!知りませんでした。」


Sさん:
「金栗四三さんって、川見さんが『開運!なんでも鑑定団』に初めて出演した時に鑑定した、マラソンシューズの人ですよね?」

2012年、川見店主が鑑定した「金栗四三のマラソンシューズ」


川見店主:
「そうです。鑑定したのは金栗四三さんが履いていた『ハリマヤ』というメーカーのマラソンシューズです。今から100年ほど前に、金栗さんと『播磨屋(ハリマヤ)』という足袋屋さんから日本のランニングシューズの歴史がはじまりました。」


Sさん:
「そんなドラマがはじまったら、金栗さんやハリマヤのことで、また色々とテレビ局から問い合わせが来るかもしれませんね!」


川見店主:
「あ!そういえば、もう1年半くらい前に、NHKさんから電話がありました。金栗さんとハリマヤの歴史を教えてほしいって。それで色々と資料を送ったりしました。」


Sさん:
「じゃあ、もうすでに、ドラマの制作に関わってるんじゃないですか!」


川見店主:
「その時は、『1時間くらいの番組で紹介されるのかなー』って思ってました。それにもうずいぶんと前の話なので、すっかり忘れてました。まさか大河ドラマになるなんて!


――こんな会話のあった翌日。

NHKの"その人"Wさんから電話があった。

Wさん:
「ご連絡が遅くなり申し訳ありません。この度は大変にお世話になりました。やっと、番組が実現する運びとなり、先日、ドラマの制作発表を行いました。」



川見店主:
「存じあげております。ビックリしました。まさか大河ドラマのお話だったなんて!」


Wさん:
「大河ドラマとしては33年ぶりに近現代を舞台にします。時代劇と違って時代が近く、またオリンピックに関しては調べる資料も膨大にあるので、作家も脚本に苦労しています。」


川見店主:
「それだけにセットや道具の再現には、より緻密さが求められることでしょうね。うわー、大変そうですねー!」


Wさん:
「そのとおりです。ですから、これからもぜひともご協力をお願いします。」


川見店主:
「わかりました!私にできることはなんでもします!」


*****

つーわけで、2019年1月からはじまるNHK大河ドラマに「いだてん ~東京オリムピック噺(ばなし)~」が決定です!

日本人で初めてオリンピックに出場したマラソン選手・金栗四三役に中村勘九郎さん、日本に初めてオリンピックを招致した田畑政治役に阿部サダヲさんのW主演!全50回の放送予定!

脚本は宮藤官九郎さん、主演は金栗四三役に中村勘九郎さん、田畑政治役に阿部サダヲさん

――いやー、楽しみですね、川見店主!大河ドラマですよ、大河!


川見店主:
「ビックリですね!100年前に日本のマラソンがどんな風にはじまったのか、1964年の東京オリンピックがどのようにして実現されたのか、それがドラマになるんだからワクワクしますね!」


――「日本マラソンの父」と称される金栗四三さんの生涯は、ユニークなエピソードに事欠きません。おもしろくならないわけがないと思います。


川見店主:「金栗さんは、初出場したオリンピックのマラソンを途中棄権したけど申告しなかったので、レース中に『消えたランナー』とされました。その後、『54年8カ月6日5時間32分20秒3』の年月を費やしてそのレースをゴールされた話が特に有名ですね。」


――金栗さんって、箱根駅伝の創始者なのですよね?


川見店主:「金栗さんは生涯を日本の長距離走者育成に懸けられた方です。その育成方法のひとつが駅伝でした。金栗さんが発案された箱根駅伝は、実は『アメリカ大陸横断駅伝』という途方もない大会を実現するための予選会としてはじまったのだそうですよ。」


――なんかもうエピソードのスケールが大きいですね。


川見店主:
「そのスケールの大きさは、金栗さんの情熱の大きさなのでしょうね。それに、箱根駅伝だって、今でこそテレビ中継もあって華やかに演出されてますけれど、当時は道路も舗装されてなかったのだから、走る選手も大会運営もそれはそれは大変だったと思います。」


――そんなこんなが、どんな風にドラマ化されるんでしょうね。


川見店主:
「日本マラソンの発展とオリンピックの実現に尽力されてきた方々の歴史が、立体的な映像として私たちの目の前に立ち現れるなんて、想像しただけでワクワクです。ホンットに楽しみです!」


――川見店主からNHKさんに「こんなところをドラマ化してほしい」っていうリクエストはありますか?(笑)


川見店主:
「私としては、ハリマヤの創業者である黒坂辛作(くろさか・しんさく)さんの功績にも光が当たってほしいと思います。金栗さんと黒坂さんの試行錯誤から誕生した『マラソン足袋』、その開発の苦労話とかもドラマに再現されたら、すごくおもしろいと思います!」

【黒坂辛作】
1903年、東京文京区に播磨屋足袋店創業。金栗四三は黒坂の作る足袋で1912年ストックホルムオリンピックのマラソンを走った。以来、黒坂と金栗は共にマラソンシューズの原点とも呼べる「マラソン足袋」を研究開発、このマラソン足袋は1950年代はじめ頃まで日本の歴代ランナーたちに長く愛用された。


――ドラマは、3つのオリンピック大会を話の中心とした3部構成で進むそうです。

第1部:1912年ストックホルム大会(金栗四三さんが日本人初のオリンピック選手として参加)
第2部:1936年ベルリン大会
第3部:1964年東京大会

人類が2つの世界大戦に直面した激動の時代を背景に、50年にわたる壮大な物語が展開されるとのことです。


川見店主:
「脚本は、あのクドカンさんなのでしょう?期待しちゃいますね!なにかお力になれたことがあるなら光栄です!」


――ここはぜひともですね、NHKさんにはドラマのオープニングで店の名前を出してほしいところですね。こう、ざっぱーん!ときて「オリンピアサンワーズ!」みたいな。



川見店主:
「まぁ、そこまでとは思ってませんけれども(笑)。」


――いやいや、このブログに書くことで既成事実にしておきたいと思います。「NHKさんに協力したぞ!」っていう(笑)。


川見店主:
「それはともかく(笑)、こんな機会は二度とないでしょうから、オリンピアサンワーズはこれからも『いだてん』のドラマ制作に全面的に協力します!そして2019年は『いだてん』を存分に楽しんで、来る2020年の東京オリンピックをみんなで盛り上げていきたいと思いまーす!」



今週のそっちからじゃない。

オリンピアサンワーズ・川見店主んちの居候(いそうろう)チビタくんが登場する「今週の~」シリーズ。
チビタくんは、この新ブログでは今回が初登場、旧ブログからは約1年ぶりの登場です。

チビタ
2003年生まれ。男。ねこじゃらし研究家。

*****


――さて、最近のチビタくんはいかがお過ごしなのでしょう?


川見店主:「あのね、この前ね、ランニングシューズが入ってた箱を使って、チビタくんに食卓を作ってあげたんです。」


――はい、食卓を、チビタくんのために。


川見店主:「自分で言うのもなんですけど、なかなかに工夫を凝らしました。その話、聞きたい?」


――まぁ、せっかくなんで。


川見店主:「じゃじゃーん!その食卓のポイントはこちらです!」



――箱の蓋(フタ)の部分を裏返しにしてるんですね。これが?


川見店主:「なんと、このフタがちょうど食卓の縁(ふち)を囲むので、ごはんやお水のお皿が落ちにゃいようになっているのだ!」




――へー!手前からお皿を押しても、向こうへ落ちないようになってるんですね。いいじゃないですか!


川見店主:「でね、チビタくーん!お食事の準備ができましたよー!って呼んだのですよ。そしたらさぁ。」




――あれ?


川見店主:そっちからじゃないっていう。」


――せっかくの落ちにゃい工夫が、完全に無視されてます。


川見店主:「だから、考えました。こうすればいいのではないかと。」



――なるほど!逆から食べられないように、壁にくっつけてしまうわけですね!

ん?
いや、待てよ……

こうしたら、そもそも、落ちにゃい工夫に関係なく、壁にさえぎられて落ちにゃいんじゃないですか?


川見店主:「そんなことはいいんです!そしたら、ほら!」



――はい、まぁ、こうなりますよね。


川見店主:大・成・功です!


――はぁ。


川見店主:「でもね、この食卓には、まだちょっと設計に問題があるんです。」


――といいますと。


川見店主:「高さが微妙みたいで。腰が浮いてます。」



――中途半端にキツイ体勢ですね。


川見店主:「この食卓の高さには、まだまだ改良の余地がありますね(キッパリ)。」


つーわけで、「落ちにゃい工夫」に関してはなかったことにする川見店主と、中腰で食事せざるを得ないチビタくんでありましたとさ。


*****


旧ブログの「今週の」チビタくんシリーズ↓

そして、2020年の東京オリンピックへ。~川見店主、君原健二さんに会いに行く。(その4)



その3「円谷幸吉はそこに手を置き、サインをした」のつづきです)

君原健二さんのお宝「1964年東京五輪の記念スカーフ」に寄せ書きされた58名にのぼる陸上競技選手たちのサイン。そのサインひとつひとつの「鑑定」は、あたかも53年前の名選手たちと「対面」するようだったと語る川見店主。そして思いは、1964年から2020年へ――。

川見店主

*****

東京オリンピックとオリンピアサンワーズ

――1964年東京オリンピックといえば、店にこんな本が保管されてます。

「第18回オリンピック大会 陸上競技ハンドブック」
日本陸上競技連盟発行

川見店主:
「これは、東京オリンピックで陸上競技の大会運営にあたった審判や役員のための本です。表紙の裏に『贈呈』の押印がありますから、日本陸連からオリンピアサンワーズに贈られたものみたいです。」


――これ、585ページにもわたる分厚い本で、各競技種目のルール、トラックやフィールドの図面、日程、当日の進行表、審判や役員の配置、国立競技場の構造、果ては備品の個数などなどが、微に入り細に入り膨大な量で記載されています。


川見店主:
「『黒鉛筆30本、赤鉛筆30本用意する』とか、本当に細かいですね(笑)。審判や役員のお名前も載ってますが、その人数たるや大変なものです。東京オリンピックの華やかな舞台の裏で、これだけたくさんの人々が大会運営に尽力されたのですね。」


――そして、驚きなのは、このハンドブックにオリンピアサンワーズの広告が載っていることです。最終ページの見開きで、隣の広告はオニツカタイガー(現アシックス)です。

左がオリンピアサンワーズの広告。社名は「日本ニュースポーツ」となっている。
右がオニツカタイガーの広告「足もとをまもって15年」と。

――1964年の東京オリンピックの時には、オリンピアサンワーズはすでに存在していたのですね。


川見店主:
「いちおうオリンピアサンワーズの創業年月日は"1963年9月8日"ということになっていますが、本当のことはわかっていません。」


――1963年創業だと、わずか1年足らずでオニツカタイガーと肩を並べて広告を掲載する企業に成長したことになります。ちょっとあり得ないですよね。


川見店主:
「創業者・上田喜代子(うえだ・きよこ)が生前に『店を閉めて東京オリンピックを見に行った』と言ってたそうです。また、このハンドブックの広告もありますから、『少なくとも東京オリンピック(1964)の前年には、この店は存在していただろう』ってことで、1963年を当店の創業年としています。9月8日は上田の誕生日です。」


――2020年の東京オリンピック開催が決定したのは、奇しくもオリンピアサンワーズが創業50周年を迎えた2013年の9月8日でしたね。


川見店主:
「偶然とはいえ、東京オリンピックとオリンピアサンワーズの不思議な縁みたいなものを感じますね。」



モノも情報も手に入らなかった時代

――オリンピアサンワーズの創業当時、「陸上競技専門店」というのは非常に珍しかったのではないでしょうか。


川見店主:
「上田は陸上競技の専門的な商品を集めるのにとても苦労したそうです。今の便利な時代には想像できないでしょうけれど、とにかく『モノ』も『情報』も、ほとんど手に入らなかったのです。メーカーの生産力も、商品の流通・販売の経路も、まだまだ確立されていなかったのですよ。」


――もちろんインターネットもありませんものね。


川見店主:
「上田はよく、店に来る学生さんたちにも商品探しを頼んだそうです。『関東に試合に行ったら、あっちの選手たちがどんなシューズを履いて、どんなウェアを着てるのか、よく見ておいて』って。そうして見つけたのが、ハリマヤだったんですって。」


――へー!ハリマヤは学生さんが見つけてきてくれたのですか!


川見店主:
「もちろん上田自身も商品探しに東奔西走し、あらゆる手段を講じて、なかなか手に入らなかったハリマヤやニシスポーツ社といった関東のメーカーの商品をはじめて関西に流通させました。こうした努力の積み重ねで、最新の『モノ』がオリンピアサンワーズに集まるようになったのです。」


――伝説のシューズメーカー・ハリマヤ。日本を代表する陸上競技の老舗メーカー・ニシスポーツ。いずれも当時はまだ全国区で事業が展開されていなかったのですね。


川見店主:
「やがて、関西の陸上競技選手の間に『あそこに行けば陸上競技に必要なモノがすべて手に入る』と店の評判が広がっていきました。こうして、お店は連日、若者たちでにぎわうようになったそうです。」


――本当に「口コミ」だけで店の存在が知れ渡っていったのですね。

大阪環状線桃谷駅近く、小さな雑居ビルの1階にあった初代店舗。
看板はなく、初めて来る人はどこに店があるかわからなかった。
1991年まで営業。

川見店主:
「また、クラブを指導される学校の先生方や選手たちにとって、お店は陸上競技に関する最新の『情報』を収集・交換できる貴重な場にもなりました。」


――今で言うところの「アンテナショップ」的な感じでしょうか。


川見店主:
「さらに上田は、最先端の練習方法といった『情報』を、無償で惜しみなく選手たちに提供しました。時には自前で陸上競技場を借り切って、有名選手を招き、先生方や選手たちを集めて、棒高跳びのような専門的な競技の講習会を開いたりしていたそうです。」


――へー、そんなことまでしてたのですか!


川見店主:
「上田は関西の陸上競技界に多くの貢献を果たしたようです。けれど、生前の上田はそのことをあまり話しませんでしたし、記録も残っていないので、今となっては上田がどれだけのことを成したのかよくわかりません。」


――創業者のことは、多くの謎に包まれたままですね。


川見店主:
「それに上田は『私のことは語り残すな』って言ってましたから、もしも上田がこのブログを読んだら、私、めっちゃ怒られると思います(苦笑)。」


――当時学生だったお客様からも、創業者ってすごくコワかったと聞いています。


川見店主:
「コワいってもんじゃないですよ!すっごく厳しかった。でもね、その奥にある上田の途方もない愛情に気づいた時、みんな上田のことが大好きになるのです。不思議なおばちゃんでした。」

上田喜代子(うえだ・きよこ)
オリンピアサンワーズの創業者
(1924-1986)


先人たちの汗と苦闘と~なぜ依田郁子選手はレース前にトラックをほうきで掃いたのか?

――そんな、「モノ」も「情報」もまだまだ豊かではなかった1964年に東京オリンピックは開催されたわけですが、出場した選手も、大会運営も、大変だったでしょうね。


川見店主:
「そういえば、番組で紹介された映像で、短距離選手の依田郁子(よだ・いくこ)さんがレース前に後転倒立したり、自分の走るコースを箒(ほうき)で掃いてる様子が映ってましたけど、あれ、なにをされてると思いますか?」


――番組では依田さん自身の「風変りなルーティン」という紹介でしたけども。倒立でもなんでもいいから動いて気持ちを落ち着けるとか、お掃除してコースを清めるとかでしょうか?


川見店主:
倒立はね、ご自身の体幹を確認されてたんだと思いますよ。」


――ほー、体幹を。


川見店主:
「体幹がブレると走りがブレますからね。それと、箒で掃いてのはね、自分の走るコースを整地されてるのです。」


――整地、ですか。しかもご自分で、箒まで持参して。


川見店主:
「当時のトラックはアンツーカー(赤土)でした。アンツーカーのトラックは、試合が進行するにつれて、選手たちの足跡でコースが凸凹になるのですよ。」


――あ、そうか、陸上競技場は、今のようなオールウェザー型トラックではなかったのですね。


川見店主:
「特に力強く地面を蹴ってダッシュするスタート付近は、前のレースで走った選手のスパイクシューズによって土が深く掘り起こされて、柔らかくなってしまうんです。」


――スパイクシューズの裏側には地面に突き刺さる鋭いピンがついてますから、選手が走るたびに地面が掘り起こされる。例えるなら、鍬(くわ)で畑を耕したような状態になってるのですね。


川見店主:
「そこに足をとられると、力が地面に吸収されてスタートダッシュの威力が激減してしまうのです。」


――はい。


川見店主:
「まして、依田さんの専門種目であるハードルは1台目が勝負です。スタートダッシュが思うようにできずに1台目のハードリングが狂うと、なし崩し的にすべてのリズムが狂って取り返しがきかなくなるのがハードル種目のコワさです。」


――依田さんの専門種目は女子80mハードル。走りを立て直している時間も距離もありません。


川見店主:
「依田さんにとっては、スタートダッシュが勝負のすべてだったはずです。だから、レース前に倒立して体幹を確認せずにはいられなかったし、ご自身の手でコースを整地せずにはいられなかったのだと思います。」


――ひとつひとつの動作に意味があるのだと。


川見店主:
「周囲からは奇異に見えた依田さんの『ルーティン』はすべて、己の100%の力を発揮するために、なんとしても勝負に勝つために、依田さん自身から発露した勝負への『執念』なのだと私は思います。」


――執念、ですか。


川見店主:
「勝つために何ができるのか?そのこたえは自分たちで探し出すしかない、競技できる環境も自分たちでつくりあげるしかない、そんな時代だったのですよ。君原さんのお宝のスカーフを前にして58名のサインと対面した時、私の心に迫ってきたのは、時代を切り拓いた先人たちの汗と苦闘です。」
58名のサインと対面した川見店主は、先人たちの苦闘に思いをはせた。
(なんでも鑑定団より)

1964年から2020年へ

――今となっては、1964年東京オリンピックは日本の大きな転換点として語られます。


川見店主:
「このスカーフからは、その53年前の空気が伝わってきます。新しい日本、新しい時代の高揚が伝わってきます。そして、オリンピックという大舞台に立ち、意気軒高に世界に挑んだ若者たちや、大会の成功に陰ながら尽力された多くの人たちの情熱が伝わってきます。何度拝見しても胸が熱くなります。」


――2020年はふたたびの東京オリンピックですね。


川見店主:
「楽しみですね!目指せ2020年!出るぞ東京オリンピック!って感じです。」


――え!オリンピックに出場するつもりですか?


川見店主:
「まさか!お客さんに出場してもらうんですよ!」


――あ、自分じゃなくて。そりゃ、そうですよね。


川見店主:
「将来が楽しみな若きアスリートのみなさんが、日本全国からたくさんご来店されてますからね!私がフィッティングしたシューズでオリンピックに出場してもらえるように、私もアムフィット・インソールの制作技術をもっと磨いてがんばらないと!っていう決意を新たにしています。」


――あらためて、君原さんのスカーフは、1964年から2020年の東京オリンピックをつなぐ素晴らしいお宝でしたね。


川見店主:
「君原健二さんにお会いできてうれしかったです。素晴らしいお宝を拝見できてよかったです。そして、こんな素敵な機会をくださったテレビ東京『開運!なんでも鑑定団』に感謝です。ありがとうございました。」


――また素晴らしいお宝に出会えるといいですね。


川見店主:
「その時はまたガチガチに緊張して収録がんばります(笑)。」




(「川見店主、君原健二さんに会いに行く」は、これでおわりです。最後までお読みいただきありがとうございました。)

・その1 開運!なんでも鑑定団に出演した話
・その2 1964年東京オリンピックのポスターとスカーフの話
・その3 円谷幸吉はそこに手を置き、サインをした