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【テレビ】1964年東京オリンピックのポスターとスカーフの話。~川見店主、君原健二さんに会いに行く(その2)。



その1「開運!なんでも鑑定団に出演した話」のつづきです)


4月18日の「開運!なんでも鑑定団」に鑑定士として出演した川見店主。
今回、川見店主が鑑定したのは、五輪メダリストのマラソン・レジェンド君原健二さんのお宝でした。
果たしてどんなお宝だったのでしょう。川見店主に聞いてみました。

川見店主

*****

――さて、「依頼人」君原健二さんのお宝は「1964年東京五輪のサイン入りスカーフ」ということで。


川見店主:
「そうですね。でも、ただのスカーフではありません。東京大会に出場された陸上競技選手58名のサインがビッシリと寄せ書きされた、世界に2つとないスカーフです。」
君原さんのお宝「1964年東京五輪記念スカーフ」
(なんでも鑑定団より)

亀倉雄策デザインのスカーフ

――まず、このスカーフを語るうえで避けて通れないのが、あの有名な東京五輪ポスターのデザインです。ここに、「世界各国オリンピックポスター集」というのがあります。
これは以前、当店のお客様が「父親が昔に買ってたのが家にありました。この店にある方が何かの役に立つでしょう」と寄贈してくださったものです。

もりもっちゃんが寄贈してくれたポスター集
1964年日本書籍出版協会発行

これは、第5回(1912年ストックホルム大会)~第18回(1964年東京)大会のオリンピックポスター14枚が、カラーA4サイズで複製されたものです。
中に入っている説明書には、

この売上による剰余金は、オリンピック東京大会に寄附されます。

と記載されてますから、1964年東京五輪を記念して販売されたもののようです。
第1~4回までのオリンピックポスターは作られていない。
第6回(1916)・12回(1940)・13回(1944)大会は戦争で中止。


さらに説明書にはこうあります。

トーキョー・オリンピックのポスターは、公式大会ポスター1点と、どなたでもよくご存知のサブポスター3点の組み合わせからなっております。
1964東京五輪公式ポスター


サブポスターは図のように、日の丸を中心に、左にスタート、右に水泳、を並べるのが正式の飾り方です。
有名なサブポスター3点。正式な並べ方がこれ。


川見店主:
「枠から躍り出るような肉体の躍動感、一度見たら忘れられない大胆な構図の日の丸五輪。これら1964年東京五輪のポスターは、あまりにも有名ですけど、何回見ても飽きませんね。」


――デザインについては、こう書かれています。

これらはデザイン的にも、印刷技術的にも、いままでのオリンピックには見られなかったほどに優れたもので、海外でも高い評価をうけており、亀倉雄策氏のデザイン、早崎治氏のカメラ・ワーク、村越壊氏のフォト・ディレクションがみごとに結晶した、印象的で力強い効果を生みだしております。


川見店主:
「君原健二さんのお宝のスカーフも、亀倉雄策氏のポスターと同じデザインのもので、東京の"ブルーミング中西"というハンカチーフの製造会社が作ったものです。」


――どうやら、東京五輪の記念スカーフって、たくさん販売されてたそうですね。


川見店主:
「東京五輪をモチーフにしたスカーフは数多く作られて、1枚1,000円で飛ぶように売れたそうですよ。こんなおもしろい記事があります↓」



――では、スカーフそのものは、お宝的にあまりめずらしくないのですか?


川見店主:
「いいえ、それはあくまでも一般に販売されたスカーフの話。一般販売のものは正方形ですが、君原さんのスカーフは長方形のものです。これは非売品で、選手や関係者のみに配られたものなんです。だから、制作数は非常に少ないのですよ」


――じゃあスカーフそのものにも、大変な希少価値があるわけですね。


川見店主:
「そう思います。でも圧巻なのは、なんといっても陸上競技選手58名のサインです」


(つづきます↓)
・その3 円谷幸吉はそこに手を置き、サインをした

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